2003年11月23,24日走行会レポート

今回の走行会はちょっと特別でした。

理由はいろいろあります。

1,2003年、みんなの予定が合わず、なかなか走行会が出来なく、冬を間近にしてやっと出来たこと

2,主要メンバーの伊藤さんが、(肉体的に)首が回らなくなって参加できなくなったこと

3,もう一人の主要メンバーの宮本さんが次の日の仕事で宿泊できなかったこと

4,そして、私のジムニーが目的地直前でエンジンクラッシュを起こしたこと

と言うことで、集まった車はたったの2台と言う寂しい結果となりました。今回は集合場所が新潟県の奥深い温泉地だったと言うことで、距離が遠かったため、夕食時間もおそくなり、疲れ切ってみんな早く寝てしまいました。でも、久しぶりの再開で盛り上がったのは間違いありません。長時間走ったあとの温泉は格別です。

さて、問題の私のジムニーのエンジンクラッシュですが、東京を出て8時間後の新潟県の高速道路上で発生しました。時速80kmで順調に走っていたら、突然強烈なエンジンブレーキが掛かり、エンジンから大きな異音が聞こえてきました。緊急ストップしてみましたが、エンジンは死んでしまったような感じです。

JAFを呼びましたが「これはどうにもならない」と言うことで、高速を降り、近くのスズキの店に直行、エンジン焼き付きを宣言されました。人間で言えば心臓急停止で死亡です。中村さんに迎えに来てもらって目的地に着くことは出来ましたが、この原稿を書いている今現在11月30日でもまだ車は手元にありません。どうなる事やら。中村さんはもう一台のジムニーのエンジンをくれると言ってくれていますがーーー。

写真は高速道路から移動される私のジムニーです。

その後

まずジムニーを東京まで移動することにしました。預けた店では、直せないとの事でしたので。

その店で、週に1便ぐらいは東京に車を運ぶトラック便を紹介してくれました。それに便乗することにしました。運賃は運転手に寄り道をしてもらうことになるので、お礼を支払ってくれ瑠だけで良いですと言ってくれました。普通に車1台を運ぶために、トラックを仕立てるよりは半分以下で収まりました。

府中に戻ってきたジムニーを、長年、私の変な車の面倒を見てくれてきた「日本モータース」に持ち込みました。幸いエンジンブロックには穴は空いていないが、ピストンは完全に焼き付いているとのこと。

直すためにはエンジンブロックの内側の研磨、ピストンの交換、調整などで2,3週間見て欲しいとのこと。以前ドイツ製の四輪駆動のエンジン焼き付きの時はエンジンブロックに大きな穴が空いてしまったので、中古のエンジンが出てくるまで3,4ヶ月待ちましたが、それに比べたらたいしたことはなかったと思いました。

そして、約1ヶ月後、ジムニーは微妙に排気量が大きくなり、以前にも増して元気に走り始めました。

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